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Posted by TI-DA at

2010年06月28日

夏の空



だれかがおらんと 生きていけんなんて つまらん女になるのは もう飽きた

がさつでいい ずぼらでも
ずぶとく しぶとく  したたかに


寂しくて不安で泣きたくなる日もある
周りの世界が音をたてて崩れ落ちる日も
だれも信じられなくなって
だれかの言葉に翻弄され自分を見失う日だって



けど それがどーした



それも含めて 私の人生なのだから

あらゆる自分の弱さや甘えや怯え
ひとに対する猜疑心やどろどろした真っ黒ないやらしい心も

隠さずに正直にあけっぴろげに
全部受け入れて
大股開いて
大口開けて
笑い飛ばせばいい


たとえひとに 眉をひそめられても
バカな女だと 冷たく笑われても


「死ぬわけじゃなかろうもん」


よく母に言われた言葉


怖がりで臆病で傷つきやすいくせに
平気でひとを傷つけてしまう私だけど


アスファルトの隙間から伸びる雑草みたいに
のびのびと 堂々と
ぬけぬけと たくましく生きていこう


たまにずっこけても かっこ悪くても 私は私
だれが何といおうとひとりしかおらんちゃけん


ふりほほどかれようと何されようと
しがみついてでも

もっともっと人生を楽しんでやる
もっとおいしいもんいっぱい食べて
もっといろんな国やいろんな場所に行って
素敵なひとやものと出会って
自分の好きな音楽聞いて
自分の好きな酒飲んで
自分の好きなものに囲まれて
たくさん恋をして
楽しく生き抜いてやる


そんなことを今日のギラギラした夏の空を見て思った

見とけ、太陽

ぬはははは
  


Posted by bearhand at 13:33Comments(4)

2010年06月27日

本日3時!



常日頃から、お世話になっている中村清司さんのサイン会が、本日行われます!
売れに売れているこの本、私も拝見しましたが、本当に面白い!の一言。
一気に読むのが、もったいなくて、ちびちびと読んでいます。
今まで書かれそうで、だれも書けなかった沖縄の怖~い話の数々。

まだ購入されていない方は、お手元にぜひ。
ご購入は、各書店、またはネットにて。
http://www.shinchosha.co.jp/book/324341/

「燦々と太陽が輝く沖縄は、実は闇が支配する島だった。
シーサーは飾り物ではなく魔よけ。霊能者ユタは県内に数千人。
子孫に祟ることもある先祖霊。建築士よりも参考にされる家相と風水―
―移住13年の著者が、沖縄人の独特な世界観、内地にはない異空間、
痛ましい戦跡、心霊スポットなど不思議な世界との橋渡し役を買ってでた!」


仲村清司(ナカムラ・キヨシ)氏プロフィール
作家・沖縄大学非常勤講師。1958年、大阪市生まれの沖縄人2世。
1996年に沖縄県那覇市に移住。
移住者の目から見たディープで不思議な沖縄のアレコレを書籍・ラジオ・インターネットなどで発信中。
著書に『爆笑沖縄移住計画』(『住まなきゃわからない沖縄』として文庫化)、
『沖縄大衆食堂』(共著)、『ザ・ウチナーンチュ』(『沖縄学』として文庫化)、
『沖縄うまいもん図鑑』、『泡盛「通」飲読本』(共著)、
『仲村清司の独断偏見!!沖縄とっておきの隠れ家』など多数。




「中村清司さんトークライブ&サイン会」

●27日(日曜日)
●ジュンク堂那覇店 3時~
●サイン会終了後、土で打ち上げ

なんと雑誌「momoto」編集長もご参加予定です。


ジュンク堂書那覇店
〒900-0013 那覇市牧志1丁目19-29
電話: 098-860-7175 那覇店
http://www.junkudo.co.jp/nahaten.htm


みなはん、うちも心待ちしておりますえ。おいでやす~と奥様の向田さん。  


Posted by bearhand at 10:16Comments(0)

2010年06月24日

チビチリガマから日本国を問う!



私の師匠であり、父のような存在でもある、西山監督の最新作が、今週読谷にて上映されます。まだ拝見していないので、コメントは差し控えさせて頂けますが、常に「声なき声」のそばにそっとよりそい、耳を傾ける監督は、数少ない、真のジャーナリストだと思っています。ぜひ、みなさま、足をお運びください。


「チビチリガマから日本国を問う!」沖縄完成上映会
公約を果たせ!
沖縄への屈辱的、政治的差別に抗議するため
日本国総理官邸前に座り込んだ人々の記録。

● 読谷村文化センター中ホール
●6月27日(日) 開場13時30分
上映14時
●上映後、カクマクシャカ・知花竜海ミニライブ
金城実・知花昌一・知花盛康各氏の挨拶あり。
●主催/映画「ゆんたんざ未来世」シリーズを観る会
090-7984-2404(高井)
●協力/チビチリガマ遺族会・琉球親鸞塾・金城実アトリエ
●参加費はカンパとさせていただきます。
●上映希望の方は092-942-7406(fax)
e-mail:aitaro7@yahoo.co.jp


昨年12 月末、読谷村会議員の知花昌一さんが「米兵ひき逃げ事件」に断固抗議!するため、容疑者がかくまわれている米陸軍通信施設トリイステーション前で4 日間におよぶハンガーストライキを敢行した。
知花さんは度重なる凶悪な米軍犯罪や事件・事故、最近では2004年に起きた沖縄国際大学米軍ヘリ墜落の米軍による無法な処理事件、そして2007年沖縄戦の教科書改ざん問題、1996年から現在につづく辺野古新基地建設の策動など日米両政府による沖縄への屈辱的な政治対応に抗議し「屈辱的な日米地位協定を抜本的に改正せよ!」とする声明を発した。
ひき逃げ犯の米兵がようやく起訴され身柄が引き渡されたが、これで事件が解決したわけではない。
凶悪事件犯を逮捕できないという不平等な「日米地位協定」はそのままだからだ。

知花昌一さんはこれまでチビチリガマ強制集団死を語り継ぎ、米軍楚辺通信所(象のオリ)奪還闘争の先頭に立ち、日本全国に向かって沖縄の心を表現、誇りある行動をしてきた。
昨年、政権交代によって沖縄が抱える過重な基地負担がようやく全国民の関心事となり始めた。
新政権が普天間基地の移設先を国外、最低限県外と約束したからだ。

しかしアメリカとの交渉が行き詰ると、県内もありうるとして迷走を始めた。
県外移設という沖縄の期待を煽りながら迷走する新政権。危機感を募らせる沖縄の人々。期待していただけに沖縄の怒りは収まらない。
2010年4月6日から4日間、読谷村在住の金城実(彫刻家)、知花昌一(村議)、知花盛康(農民)の3人が日本国総理官邸前で要請と抗議の座り込みを敢行した。呼びかけから僅か10日間という緊急行動にもかかわらず総理官邸前には延1200人の人々が集まった。
数人の果敢な行動が人々の心を動かし、世の中を動かす場合がある。

読谷村は沖縄戦で米軍が上陸した場所であり、住民が避難していたチビチリガマ(壕)で強制集団死が起きた場所でもある。
彫刻家・金城実さんと知花昌一さんは1986年から翌年にかけて「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を協働で製作し、強制集団死と平和の問題を共に考え行動してきた間柄である。

私は1986年夏から読谷村に住み「世代を結ぶ平和の像」製作を取材、映画「ゆんたんざ沖縄」として発表した。
23年後、私は再び読谷村を拠点にして、若い世代に時代を語り継ぐための記録映画「ゆんたんざ未来世」シリーズの製作を始めた。
第一弾は昨秋完成した「知花昌一・沖縄読谷平和学」(94分)。第二弾は「金城実~恨(ハン)を解いて浄土を生きる」(仮題)を
編集中でしたが、今回の座り込み行動で、急遽特別編集版「チビチリガマから日本国を問う!」を仕上げることにしました。

県内のたらい回しか、県外か。

5月末にも予想される政府の結論が予断を許さない状況があり、今や問題は日本に駐留する外国の軍隊、日米安保条約そのものに関心が向けられ始めたからです。

戦後65年間もの永きに亘り
外国の軍隊が駐留する国が主権国家といえるのか。

沖縄はこの日本国の主権者意識を根源的に問うているのだ。


地域社会にどっしりと根を張り沖縄の心を叫びつづける彫刻家・金城実さんと知花昌一さんを記録した映画の自主上映を全国各地に広く呼びかけたいと思います。
どうか友人・知人のみなさんに地域上映を呼びかけてください。上映運動で人と人がつながり、地域と沖縄がつながり、世代を結ぶ、そんな平和運動を呼びかけたいと思います。


西山正啓


<西山監督プロフィール>1948 年山口県生まれ。
'82「みちことオーサ」で初監督。以後、'85「おもしろ学校の一日~名取弘文の公開授業」、'87「ゆんたんざ沖縄」、'90「しがらきから吹いてくる風」、'93「水からの速達」'99「ベトナムに生まれて~枯葉剤を浴びた村から」2005「水俣 わが故郷~ほっとはうす流もやい直し」と、教育、福祉、環境、米軍基地と日本の関わりなど、幅広いテーマのドキュメンタリーを撮る。
2006年ドキュメンタリー映画「米軍再編 岩国の選択」、2007 年「消えた鎮守の森」を完成し全国各地で上映運動が広がっている。1999年より福岡教育大学『共生社会論』講師。
  


Posted by bearhand at 22:51Comments(2)

2010年06月17日

Viva! 還暦!

とり急ぎのご報告パート2。
今年、無事、還暦を迎えた父。しかし・・・
「ちゃんちゃんこなんか、着るわけなかろーもん!!!」
とお祝いモードも一蹴され。

昔は、タバコも酒もやりたい放題だったので、ライターやお酒を送れたけど、
今は、すっかり健康的になり、ウォーキングなんて始めちゃったりするし。
(きっと奥様の教育がしっかりされているのでしょう)
持ち物すべてにこだわりがあるひとなので、変なもの送ると
「ふんっ!」と見向きもしてくれません。

新しいもん好き、珍しもん大好き。SF大大好き。

高校生だった頃、まだ出始めたAIBOを買うといって聞かず。
緊急家族会議。

家:「・・・で、いくらと?」
父:「70万くらい」
家:「はぁ~・・・(全員のためいき)」
父:「だってロボットと一緒に生活できるとよ?すごかろうもん!!」
どうやら父は、「鉄腕アトム」に憧れ、いつか未来になったら、ロボットと人間が共存する社会を待ち望んでいたらしい。
ひたすらだだをこねる父。

もめにもめた結果、「どーせ飽きるやろう」という家族全員の説得もあり
5000円くらいのどらえもんのリモコンロボットで泣く泣く我慢しておりました。

そんな父へのプレゼント。
いろんなひとに相談し、あーでもない、こーでもないと悩んだ結果、
島さばを送ることにしました。
島さば職人のぐーしーさんと企画会議を重ね、出来上がった作品。



まずは、試作。キャー!!ばりかわいか~!父には、楽器。母には、お花がほってあります。細かい仕事ですのぅ。




そして、完成品。なぜか、くまがプーさんになってた...(笑)



早速プレゼント。「何これ!スリッパ?」と最初いってた父も、ぐーしーさんの細かい心遣いに、「初めてみた~!すごかねぇー!」とびっくり。母も大満足のようです。
そして、裏には、3姉妹からのメッセージいり。
今回、還暦祝いを贈るため、遠く離れた妹どもにも協力してもらいました。

すぐに連絡をくれた二番目からは、
「身体を大切にいつまでも健康でいてください」とのメッセージ。
おぉ、なんかおとなになったのぅ(涙)ありがとう。

そして、三番目。時差のせい?か、いつまでたっても連絡がとれん。
「何でもいいけん!一言でもいいけん!」と、再三連絡した結果、
やっと帰ってきたメール。

「言葉にできません」

...本当にひとことやね。ま、あんたらしくてよかけどさ。

2人とも、忙しいなか、私のわがままにつきあってくれて、ありがとう。



そして、忘れてはならない、わが家のAIBO。ちゃんとほってもらったよー似とーかな?


しかし、AIBOくん、ガソリンきれるとすぐおねむ・・・zZZZ
ほらっ起きんしゃい!ちゃんとお礼ば言わな!


今回、いろいろと相談にのってくれたみなさま、ありがとうございました。
おかげでいい還暦祝いができました。
ぐーしーさん、忙しい中、一生懸命つくって頂いて本当にありがとうございました~!

たくさんの方々に支えられて家族全員健康でいられること、
感謝感謝です。
みなさん、今後ともよろしくお願いします。
  


Posted by bearhand at 14:23Comments(6)

2010年06月15日

@home 福岡

ひさしぶりに実家に帰らせて頂きました。
これで三度目の結婚式…もう勘弁してくれ。
報告は、また後日。とり急ぎ、地元で見つけた面白いもん。



@福岡空港。
ゲートをにぬけた直後、いきなり告白されてしまった。きゃー
来ただけで、好きになってもらえるなんて、お得(?)
しかし、バックの山笠がよかー。血が騒ぐわ。
なんだか、ただいまーって言いたくなるやんね。
うちも好いとーよ、福岡!



@久留米市役所にて。ちょっとぎょっとした。
しかし、「空もよかろうもん!」って…(笑)
果たしてこれを見て、入りたい!と思うひとはおるっちゃろうか。
うちは、全部いやや。


またしても@福岡空港。帰りの便を待つ間に見つけました。
そりゃ、世界で一つやろなー。こんなのもらったら、ちょっとうれしいかも。
ちなみに、翻訳すると・・・

「うまかもんば食べんしゃい」=おいしいものを食べなさいね
「好きなもんば買いんしゃい」=好きなものを買いなさいね
「とっときんしゃい」=とっておいてね
「すくなかばってん」=少ないけど

・・・となります。


なんか、ばーちゃんに言われそうなセリフ。

あーだれか全部くれる人おらんかな~


ということで、やっぱり、よかね、福岡。


  


Posted by bearhand at 14:04Comments(2)

2010年06月08日

そりゃないぜ



先日、東京の友人の結婚式に出席したときのこと。
飲み会の席で、サークルの友達と普天間問題の話になり、
「いやーお前がいつ火炎瓶もって殴りこむんじゃないかと思って、ハラハラしてテレビ見てたよ~(笑)」と言われた。
いや、せんけどさ。だいたい作り方知らんし。

でも、本当は、やりたい。くらい、心の中は、毎日怒りでぐるぐるしている。

沖縄と出あってから、6年。
ふらっとひとり旅できただけだったけど、でも沖縄は、それまで曖昧模糊、魑魅魍魎とした「ヤマトンチュの私」の矛盾をグロテスクにさらけだしてくれた。
沖縄に基地がある・・・以前に、じゃぁ、沖縄に基地をおいているのは、だれなの?常に問われた。
そこで出会ったへのこの海。そして座りこむひとびと。おじいおばあ達。
自分がなにもので、どこに立つべきなのか、いつも考えた。

この12年、いったいどれだけのひとが、怨念とも言える想いを、あの海にかけてきたか。
どれだけのひとが、志半ばで倒れていったか。
私たちは、いったいどれだけのひとたちを傷つければ、すむのか。
そのくせ、いつまで「他人のフリ」をしとくのか。


言葉にしようと思っても、いろんなことがありすぎて、今は、うまく表現できない。
うまく言葉がまとまらない。
でも、鳩ぽっぽ首相が辞めたとき、「あ~やっぱりね」という諦めと、
やり場のない苛立ちで心がたぎった。

いつまでたっても、だれも責任をとらない。それこそがこの国の現実。

ただ、アメリカが守ってくれるかもしれないから。
何かあったら、東京を守れるから。
北朝鮮や中国が怖いから。

もし、それが理由だとしても、本当にとことん議論し尽くしたのか。
説明し尽くしたのか。向き合ったか。
まず、何より10年近くも座りこんできたおばあ達に頭を下げるべきではないのか。

そんなこともせずに、そんな理由であの海がつぶされてしまう。

今日から新政権発足。
浮き立つマスコミ。急上昇の支持率。
まるで普天間問題は、鳩山さんと一緒に終わったかのように。

あー何も変わってないな。そう思う。
正直もうあまり期待はしていない。

でもひとこと言いたい。

鳩山さん。
「正しい選択をした。」って言ってるけど、
そりゃ、ないぜ。

子ども達は、ちゃんと見てるよ。


以下は、ある男の子からのメッセージです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぼくは久志中学校一年の渡具知武龍です。

ぼくが生まれ育った久志地域の瀬嵩は、後ろに多野岳があり、前には大浦湾が広がっている、とてもいいところです。

ぼくは、ここが大好きです。
ぼくの父と母も、この豊かな自然を僕たちのために残さなければいけないという気持ちから、
14年間ずっと基地建設に反対しているのです。
小さい頃は、その気持ちがよく分かりませんでした。
何かと言えば集会に連れて行かれ、6年前からは毎週土曜日の夕方は、ピースキャンドルのためにどこにも行けない・・・。
”どうして?”、そんな気持ちでした。
でも、小学校の高学年の頃から、だんだんと父や母のいつも話してくれる基地建設反対への気持ちが分かるようになってきました。
今はずっと反対の思いを持ち続けてきた両親をすごいなと尊敬しています。

両親の気持ちが分かるようになると、分からないのは鳩山総理の考え方です。
去年、鳩山総理は「普天間基地は県外へ移設します」と約束しました。
4月25日には、沖縄に住んでいるたくさんの人たちが「基地建設に反対する県民大会」で基地建設反対を訴えました。
5月16日、あの大雨の中、17000人もの人が手をつないで、「普天間基地をどっかに持って行って」と人間のくさりをやりました。

いろんな形で、ぼくたちの気持ちは、いっぱい伝えているはずなのに、どうしてまた辺野古に基地をつくることになるのでしょう。
鳩山総理の大きく見開いた目は、どこに向いているのでしょう?
沖縄が65年前と同じように捨てられたんだと思い、ぼくは今すごく悲しい気持ちです。

ぼくたち子どもは、鳩山総理のやっていることをちゃんと見ています。
子どもだと思ってばかにしないでください。

ぼくは、決心しました。
お父さん、お母さんと、そしてここにいるみなさんといっしょに、沖縄から基地をなくすまでがんばりたいと思います。
ぜひがんばっていきましょう!

「二見以北十区の会」より


  


Posted by bearhand at 23:50Comments(2)

2010年06月01日

夜間飛行



機体は、満月の光に照らされながら静かに北上を続けている
仕事あがりでへとへとになった身体を横たえながら
窓からひたすら暗い空を眺めていた

ひさしぶりの旅
思いうかぶ懐かしい顔顔顔
思い出のあの場所

あれからどれだけの時が過ぎたんだろう

あるひとは旅立ち
あるひとは生涯の伴侶を得
あるひとは道を模索し
あるひとには新しい命が生まれた
あるひとは悲しみにくれ
でもあのひとの笑顔はそのまま

私は?
私はどれくらい変われだのだろうか
過ぎた時間にどれだけ向き合えるのか
自分が問われているようで
飛び立つ前は
少し躊躇していた

私達が別れたきっかけ
あの娘が命を絶った理由
彼女の病の意味

答えを見つけなければと思っていた


でも飛行機を降り立ち
たくさんの笑顔に会ったら
そんな悩みはどこかにすっとんで

ただただ
こんなにたくさんのひとたちに
支えられて私は生かされていたのだと

馬鹿ばっかりやってたけど
とてつもなく楽しい時間と仲間たちがいたこと
素晴らしい出会いがたくさんあったこと
誇りに思える友がいること

2人のあの時間は確かにあったのだということ
あの娘が誰よりも愛されていたこと
彼女が今必死に生き抜こうとしていること

それぞれが新しい道に踏み出して
そして新しい命が生まれたこと

ただただ
全てがつながりあって支えあって
今の私がいること

そのことだけが胸に迫ってきて
涙が流れてとまらなかった


泣いて泣いて
曇り空も雨も全て
洗い流したあとには
またぽっかりと
青い空が
「おかえり」と
手をひろげていた



「ただいま」

今かえってきたよ






  


Posted by bearhand at 23:38Comments(5)