2010年03月05日

DAYS JAPAN

DAYS JAPAN

中学生のとき、「世界」のことが知りたくてしょうがなかった。

世界には、どんなひとがいて、どんな生活をしていて、今いったい何が起こっているのか?
けれど、そんな私の疑問に答えてくれるおとなは、なかなかおらず、
私は、窮屈な金魚ばちの中にいるようで、いつも口をパクパクさせていた。
たまに出る旅だけが、唯一の楽しみだったかもしれない。
今でも、時間さえあれば、すぐにでもバックパックひとつで世界をまわるのが夢だ。


高3の夏に、下手くそなデッサンをやめたのも、世界のことが知りたくてしょうがなくなったからだった。

でも、頑張って入った大学では、毎日文法ばかり。
期待してとった国際関係学も、アンゼンホショーやミサイルの話ばかりでつまらなかった。

そんなある夏の日のこと、テレビをつけると、飛行機がビルにつっこんでいた。
9月11日。
メディアが一斉に同じことを報道する中で、私もそのまま流されていた。
ある先生と出会うまでは。
先生は、言った。

「彼らは、本当にテロリストなんでしょうか?
子どもを殺された父親や、母親を失った子どもたちじゃないんでしょうか...あなたはどう思いますか?」

授業中に問いかけられたのなんて初めてだった。何も答える言葉がなかった。今までメディアを疑うことなんてなかった。
それが恩師との出会い。私は、やっと疑問に答えてくれるおとなをみつけたのだった。


そして、もうひとつ、ある雑誌との出会いがあった。

たった、一枚の写真に、ここまで胸を打たれたのは、初めてだった。

ひとりの女の子を抱えたおじいさんの写真。
女の子の足は、肉が裂け、骨が見える。
彼は、その子の父親なのか、親戚なのか、はたまた通りすがったひとなのか。
ただ、女の子を見つめる視線、表情から、
初めてこの戦争が、一体何をもたらしているのか、実感したのだった。


目の前でひとを亡くすということ。
命の灯火が消えていく瞬間。だんだん冷たく重くなっていくからだ。
誰よりもわかっていたはずだったのに。
私の場合は、失うまで、まだ時間も理由もあった。
でも、それが何の理由もなく、突然だったとしたら?
もしかしたら、私も飛び込むかもしれない。爆弾を抱えて。


そんなことを、この一枚の写真は、うったえかけてきたのだ。


「ねーちゃんは、なんでこんなつらい写真ばかり見ると?
 世界には、もっと楽しいことだってたくさんあるやろ?」

妹に、そう言われたことがある。

確かに、そうだ。
毎回目を覆いたくなるものがたくさんある。
どれも、出口がなくて、悶々とする。
でも、それでいいのだと思う。

だって、地球のどこかで起こっていることだもの。
むしろ、隠そうとするほうが、野暮ではないのか。
きちんと伝えていかなければいけないことを伝えない方が、責任は大きい。


編集長の広河さん、学生時代、3ヶ月間だけお世話になった。
明大前の駅前であった彼は、戦争写真家とは思えないぐらい、目立たないどこにでもいるようなひとだった。
たしかに実弾が飛びかう中、目立ったら、危ないもんなー
そんなことを思いながら、事務所でひたすら写真を整理、スキャンし、
彼が戦場から戻ってくるのを待った。


費用は、広告収入に頼らない。
だから、言いたいことをいっていく。
レバノン、イラク、パレスチナ…戦場を飛び交いながら、写真展、講演会、取材、執筆、次号の準備をこなしていく。

「体はガタガタだよ。
 でも、伝えたなきゃいけないことが、たくさんあるから。」
 いつもそう仰っていた。



本来、ひとにお願いして買ってもらうような雑誌ではない。
けれど、こんな雑誌がなくなることだけは、避けたい。
毎回、ページをひらくたびに自分の勉強不足を恥じ、思いを馳せる。
目を覆いながら、しっかりと見る。
3月号のページをひらくと、思いがけない名前があった。大学の後輩だ。
カメラを抱えた笑顔が眩しい。
卒業後、フリージャーナリストとして頑張っているらしい。
私は、まだまだ何も伝えきれていない。


こっそり、教室内の子ども達の目に入るところにおいた。
刺激が強すぎるかもしれない。
でも、もしかしたら、中学生のときの私のように、口をパクパクさせている子がいるかもしれない。
みんな、本当は、知りたがっているはず、今、そして、これからの世界を。
今、この雑誌が消えることは、「日本のジャーナリズムの良心」に関わると思っている。


どうか、みなさんのご協力をお願いします。


3月号編集後記より
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DAYS JAPAN存続キャンペーンは最後の追い込みにかかっている。ブログなどでもお知らせして通り、日本中から「DAYSを廃刊にしてはならない」という声が届いている。その人々からの購読の申し込みの受付、入力、発送でDAYSは目が回るような忙しさだ。
忙しい間はきぼうがある。申込が途絶えたら、DAYSの命も尽きる。しかし、もしこのような形でひとつの雑誌が生き延びられたら、それは日本でも世界でも希有な例になるだろう。

DAYSは東京世田谷区の明大前近くにあるが、駅前の書店の主人に聞くと「広告に依存している雑誌から潰れていきますね」という。多くの雑誌が突然廃刊を宣言し、消えていく。事前に危ないという情報が流れたら、企業が広告を引き揚げるし、銀行が飛んできて借金を回収しようとするだろう。
そうした問題からはDAYSは解放されているので、危機は危機として正直に訴えることにしたのだ。そしてこの雑誌に「志」を感じていただいている人々が、その訴えに応えてくださっている。

年末は、沖縄普天間基地の撮影に行っていたが、雨にたたられた。また仕切り直しだ。しかし基地問題の陰に、日米安保の問題、「沖縄返還」の問題、沖縄戦の問題、さらに薩摩による琉球王国併合の問題と、さかのぼる重い歴史が見えてくる。普天間基地に食い込むように佐喜眞美術館がある。ここには、丸木位里・俊さん作の巨大な「沖縄戦の図」が展示されているほか、沖縄の美術家たちの作品も展示され、問題の深淵を訴え続けている。それらはまるで人の心をかきむしるような叫び声をあげているようだった。


DAYS JAPAN 編集長 広河隆一


【DAYS 存続キャンペーン 3月9日まで!!】 

この期間中にお申し込みを下さいましたら
定期購読を1000円割引の7700円(税込)でお受付します。
広河隆一撮影 パレスチナ写真を差し上げます。

お申し込みは
●お名前 ●お届け先ご住所 ●ご連絡先お電話番号 を明記の上
FAX03-3322-0353
Mail kikaku@daysjapan.net


またデイズジャパンHPからもお申し込み頂くことができます。

DAYS JAPAN














Posted by bearhand at 23:10│Comments(2)
この記事へのコメント
DAYS JAPAN 創刊号からとってるよ。

その前に広河さんがやっていた「広河レポート」も読んでいたよ。

広河さんが中東で仕事中、体調崩して、死にそうになって帰ってきて、方針を変えると宣言してしばらくしたら、DAYS が出たと記憶しているけど・・・

その時の案内が先のレポートの名簿だったと思います。

事務所には行った事はないけれど、パティーなんかのお呼びがあったと記憶しています。

しかし、結構昔から接点があったわけだね。
Posted by キャラP at 2010年03月07日 19:42
そうだったんですね。もしかしたら、どこかですれ違っていたり。
私がいたのは、2006、7年頃だった記憶があります。

全然お力になれないまま、修論が忙しくなって、辞めてしまいましたが、以前NAKBAの制作の時に、お電話頂いたのが、最後でしょうか。

ちょっとしかいなかったのに、きちんと覚えて頂いていて、感激しました。

あの頃からあまり調子がよくないと仰っていましたが、体が心配です。

「編集長代わってくれる人いないかなー」とよくぼそっと仰っていました。

明日の期限まで精一杯宣伝します!
Posted by bearhand at 2010年03月08日 12:32
 
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