2009年11月24日

西山監督上映会@土

西山監督上映会@土

カントクと最初にお会いしたのは、いつだったか、もう思い出せない。

たしか私は、まだピチピチ?の学生で、沖縄に出会ったはじめの頃だった。

エーガカントクなるものは、きっと、無口で、話かけづらそうで、気難しいんだろう。いい絵が撮れないと、灰皿が飛んでくるとか。

そういう私のイメージは、カントクと出会って一瞬で塗り替えられた。

どこでにでもいそうな普通のおじさん。

最初にお会いしたときも、気を遣う間もなく、すっとそばにいたのだ。

「クマちゃーん、元気にしてるかい?」
いつからか、連絡をとりあうようになり、
ある時は、東京の下町で、大学のそばの居酒屋で、博多の屋台で、飲み明かした。水俣にも連れていってもらったし、読谷の撮影中も、同行はできなかったものの、びったりと張り付いていた。


多くのことを語るよりも、被写体に向き合う姿勢に、より多くのものを教えてもらった。
いや、カントクは、被写体とも、はっきりと区別していないのかもしれない。
人によりそって撮るということ。そういう撮り方があることを教わった。


沖縄にどう関わっていけばいいのか。のめりこんでいく自分と周りとのギャップに、客観的にものごとを見られなくなっているのかもしれない、そう悩んでいた。そのとき、カントクが、いってくれたことをいまだに覚えている。

クマちゃん、「客観的」と「中立」であることは違うんだよ。
圧倒的な力を持つ側と、圧倒的に力がない側の間をとることが、果たして「中立」なんだろうか。
本当に「中立」であることは、お金や力のない、声をだせないひとびとの側に立つこと。そうじゃないかい?


そっか。それでいいんだ。ポンと肩の力がぬけた気がした。


そんなカントクの作品は、その言葉どおり、いつも圧倒的に力がない人の声を代弁している。その中立さには、一切妥協がない。


こんなにお世話になっているのに、まだ何も恩返しができていないのは、申し訳ない。でもいつか、私も、カントクみたいに、何か形にできたら。そう思っている。


カントク、いつもありがとうございます。これからも、お話聞かせてください。


西山監督上映会@Bar Gallery土

上映期間:2009年11月20日(金)~30日(月)
上映時間:①14時~ 「知花昌一・沖縄読谷平和学」
      ②16時~ 日替わりおまけ上映会
      ③19時~ 「知花昌一・沖縄読谷平和学」


西山作品最新作

「知花昌一 沖縄読谷平和学」
撮影・編集・製作/西山正啓
2009年作品・98分

【西山監督より】
「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」建立を記録した映画
「ゆんたんざ沖縄」の製作から22年、この映画に記録した
彫刻家・金城実さんと知花昌一さんは、沖縄海邦国体での
「日の丸」やきすて、右翼による平和像破壊と再建に至る苦悩、
米軍通信基地「像のオリ」奪還闘争、村議会議員への挑戦、
沖縄靖国訴訟、「恨(ハン)之碑」建立、
「戦争と人間」100mレリーフ製作など共に波乱万丈の人生を
歩んできた。
2009年早々、私は読谷村で新たな映画記録を始めた。
次世代への揺るぎない平和の継承作業と琉球独立も視野に入れた
二人の大胆な思索と行動を記録しようと試みた。
シリーズ「ゆんたんざ未来世~恨を解いて、浄土を生きる」。
シリーズ製作のための序章・第一弾は、チビチリガマの語り部として
“戦争につながる動きを一切拒否する”を信念に行動してきた
知花昌一さんの「沖縄読谷平和学」。
共演は中国、韓国、ベトナム、オーストラリア、
そして日本の大学生たち。
22年の時間を経て、ふたたび世代はめぐり、未来を結ぶ。
希望はそこにある。


※日替わり上映作品(西山フィルモグラフィー)
20日「未来世を生きる」
21日「ぬちどぅ魂の声」
22日「梅香里メヒャンニ」
23日「松下竜一・日出生台いのちきの思想」
24日「水俣わが故郷」
25日「米軍再編・岩国の選択」
26日「消えた鎮守の森」
27日「貧者の一灯~子や孫たちに語り継ぐ戦い」
28日「朋の時間~母たちの季節」
29日「ベトナムに生まれて~枯葉剤を浴びた村から」
30日「はちのこ~とっておきの時間」


詳しくは、http://tsuchi2009.ti-da.net/

【 西山正啓監督/Profile 】

 1948年 山口県生まれ。映画監督。
1977年、土本監督の水俣スタッフに助監督として参加。1982年「みちことオーサ」で初監督。
以後、1985年「おもしろ学校の一日~名取弘文の公開授業」、1987年「ゆんたんざ沖縄」、1990年「しがらきから吹いてくる風」、1993年「水からの速達」と、教育、福祉、環境、米軍基地と日本の関わりなど、幅広いテーマのドキュメンタリー映画を監督。また自主上映活動を通じ、全国各地の市民と連携。
 1996年に、30年近く暮らした東京・横浜を離れ、福岡県古賀市に移住。
 1998年の第1回ゆふいん文化・記録映画祭を契機に、日出生台への米軍の演習移転問題にも関心をもち、それまでの沖縄との繋がりに加えて、さらに在韓米軍をも視野に入れた取材を開始。韓国、沖縄、湯布院(日出生台)の住民交流を基盤にしたドキュメンタリーに取り組み、2001年 春には「梅香里(メヒャンニ)」を完成させた。
 「しがらきから吹いてくる風」の上映を通して、横浜市栄区にある社会福祉法人 訪問の家 に出会い、訪問の家 朋 が取り組んでいる医療を必要とする重症心身障害者と呼ばれる人たちの地域生活と家族サポートを1999年から記録し始め、2002年11月に完成。その後も、様々なドキュメンタリー作品をつくり続けている。

【主な制作・演出作品一覧】
 '82年「 みちことオーサ」/ '84年「もうひとつのライフスタイル」/ '85年「おもしろ学校の一日~名取弘文の公開授業」/ 「信州ちくまの夏」/ '87年「ゆんたんざ沖縄」/ '89年「世直し準公選~東京中野区の教育改革/ '90年「しがらきから吹いてくる風」/ '93年「水からの速達」/ '95年「大量廃棄社会に未来はあるか(NHK)」/ '98年「ボクのスケジュールがほしい~自閉症・ヒロ君の世界(NHK)」/ 「心の言葉を聴く~自閉症・大野城すばる園の試み(NHK)」/ '99年「ベトナムに生まれて~枯葉剤を浴びた村から(NHK)」/ 「生き生き体験隊バングラデシュを行く(NHK)」/ 2000年「原爆・公害を伝える旅~写真パネルでアジア交流(NHK)」/ 「国軍体育部隊サッカー部~徴兵制と若者たち(NHK)」/ 「韓国闘牛物語(NHK)」/ 「未来世を生きる~沖縄戦とチビチリガマ(NHK)」/ '01年「梅香里<メヒャンニ>」/ '02年「朋の時間~母たちの季節~」
その他、多数。




Posted by bearhand at 13:37│Comments(3)
この記事へのコメント
昨夜「土」に寄ったら
監督から声を掛けられた
「chojiさん写真集見たよ・・・いいね〜」

うううぅ監督〜ありがとう!

と思わず固い握手をかわした
それから・・・
映像の話 写真の話 今後こんなのをしたい話
監督は若いな〜エネルギーがどんどん
溢れ出るのを感じた!

「chojiさんにお願いがある・・」

キンジョウミノルを追っかけて撮って欲しい!

ふむふむ ありがたい
お言葉に 感謝した

私のことを思ってくれて応援してくれてる

大西監督 ありがとう
Posted by choji at 2009年11月27日 12:53
西山監督だった・・
大西くん ごめんね ぶははは
Posted by choji at 2009年11月27日 12:54
をを~!

ホント、いかない日に限ってそんなことがあるのですね。
あぁ~その場にいたかった!

左にカントク、右にchojiさん、そしてミノルさんまでいたら もう私は 感激して 鼻血ぶーですわ。

にしても 濃いなー(笑)

カントク、本当に素敵な方ですよね。自分にも相手にも決して飾らない方です。
またお話聞かせてください。

しかし、ミノルじーじは きっと追いかけるの大変ですよ。
私も 何度か撮らせてもらいましたが常に動くので ぶれるぶれる。特に酔っ払ってると。

天才写真家の腕に期待しております。


大西監督、今後ともおいしいお酒 よろしくお願いします

ぶははは
Posted by bearhand at 2009年11月27日 13:44
 
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